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No65.MBA月次レポート(2008年8~9月) #03

2008/10/22 11:18

学生の頃、政治学を専攻していた私は、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(通称、プロ倫)が、何となく分かるような、でも、心底共感できるという次元に至らぬ不甲斐無さを覚えた記憶があります。



兎角宗教に関して無関心な私には、正直「資本主義がどのような背景で生まれたかなんて、どうでもいいじゃん」、「むしろ資本主義そのものの機能について、議論した方が生産的」と思えたのです。
しかし、MBA留学を通じ、初めて本格的な海外生活を経験した結果、こういった偏執的な考え方から、脱却しつつある自分に気づきます。

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トヨタに見られるような日本企業の優位性と、神道(というか多神教信仰)との間には、高い相関性があるのではないか、と最近考えるようになってきました。

幼いころ、食事中に母にこう叱られたことがあります。「まだご飯粒が残ってるでしょ。ちゃんと食べないと、お米の神様に罰があたるわよ」と。この躾、日本人の精神をうまく捉えているのではないでしょうか。
素材・リソース・環境の至る所に神様がいて、最適化したり無駄なく使うことが、神様への信仰心の証とされる日本に、トヨタのようなOperational Excellenceな企業やGreen Techに関心の強い企業が多いのは、必然なのかもしれません。

また、ミッション(神から与えられた使命)の達成に重きを置く、一神教信仰民族と、神様なんて至る所に多数いるから、ミッションなんてそんなものはないでしょ、と考える日本人とでは、ビジネスを行う上での精神性が根本的に異なっているように思います。トップダウン型意思決定と、ボトムアップ型意思決定の違いも、宗教観の違いから生じている面も多分にあるでしょう。

ってなことを、たまたま飲みながら同級生のイタリア人に話したところ、「へぇ、面白いね。それって誰が主張しているの?」と聞かれました。アップロードファイル
すみません、日本文化論の大家の論であれば、もっと説得性があったのかもしれませんが、私の持論です。(既にどなたかが論じているけれど、あまり日本文化論に明るくない私が知らないだけかも。)

しっかし、うちの母の躾は、厳しかったなぁ。アップロードファイルお陰で大人になった今でも、レストランで食事を残すと心が痛んでしまう。



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