No.スポンサーサイト

--/--/-- --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

No238.涙の数だけ

2016/01/10 23:59

がティーネイジャーだった頃。

涙の数だけ強くなれるよ (中略) 明日は来るよ 君のために


という歌詞の楽曲が流行ったのを、ふと思い出しました。本当に、涙の数だけ強くなれるのだろうか?と疑問に思いつつも、無理やり自分に言い聞かせています。

先日、父が他界しました。

父の入院中から、私は夜な夜な時々号泣してまぶたを晴らし、そして亡くなった父に病室で対面した時は、嗚咽が止まりませんでした。正直、自分がこんなに父を愛していて、哀しみに暮れる人間だったとは思ってもおらず、意外な自分の一面を、この歳になって発見した気分です。
他界したその日は、夜中の3時過ぎに就寝したのですが、寝つきが悪く、そして父が生き返る夢まで見てしまい、3時間ほどしか寝れませんでした。死後に父の体が冷たくなっていくのを、刻々と肌で感じ取っていたはずなのに、夢の中では血の気があってはつらつとした顔の父の姿が出てくるなんて。
起きた瞬間、むしろ亡くなったのが夢なんじゃないか、と錯覚するほどに鮮明でした。

デイケア(通所介護センター)に通う母は、父が亡くなった翌朝、デイケアに通うのを拒みました。ですが、家に閉じこもっていると気分が落ち込むので、普段通りの生活を崩さない方が良い、と説得して、母をデイケアに送り出しました。
本当は母に、「今日はお休みしてもいいんだよ」と声を掛けてあげたかった。ですが、普段通りに生活する重要性を、母に諭すだけでなく、私自身にも諭す必要があったのかもしれません。

母を送り出した後、葬儀内容の見積もり内容をチェックし、父方と母方の親戚に訃報の電話連絡を入れました。
父も母も兄弟が多く、電話する本数も多い。1、2本掛ければ、訃報の会話も慣れるかと思ったのですが、ダメですね。毎回、訃報を親戚に伝えるたびに、電話口で号泣してしまい、会話中に鼻水を思いっきり噛む始末。

午後、さすがに疲れが出てきて、少しだけ昼寝。柔らかい日差しに包まれて、ポカポカしてきて、少しだけ気分が癒されました。自然の力って、すごい。

夕方、実家のガレージの掃除を再開しました。かれこれ8年ほど、父母だけで住んできた一軒家。歳をとると、物が捨てられなくなるらしく、不用品が続々と登場します。もともと翌週に、市営のリサイクル施設に持ち込む予定で準備を進めていたのですが、この日からはガラクタたちさえもが「不用品」ではなく、「遺品」に思えてきてしまい、ちょっと辛かったです。

夕飯は、母、兄夫婦と甥・姪の6人で食べました。ちょうど兄が7人乗りファミリータイプの車を購入し、兄宅にその日、車が届いていました。
まだ幼稚園生の甥と姪は、父の死の意味が理解できないようです。夕飯を囲みながら、新しい車の到着を甥・姪は喜んでいました。「一番後ろが二人乗り、真ん中が三人乗り、一番前が二人乗り。あっれー、真ん中の席だけ、一つ余っちゃう。じいじも乗れるね」って、無邪気な笑顔で甥が私に話しかけてきます。その言葉が胸にグサっと刺さって、恥ずかしながら食事中に再び号泣。
その姿を見た甥と姪が、私に向かって「泣き虫」と言ってきます。頼むよ、こんな時ぐらいは泣き虫でも許してくれよ。

食後、兄夫婦も母も疲れがたまってか、20時にはゴロっと横になって寝始めました。薄暗いキッチンの電灯の下で、私が一人、食卓の食器を片づけ始めました。その時ふと、介護が必要な母に代わって、いつも父が家事・洗濯してきたこの数年間の労苦が、しみじみと感じられ、再び涙がポロっと落ちてきてしまいました。

父が亡くなって2日後の今日。父の訃報の連絡と、私の実家への転居の連絡を兼ねて、ご近所に1軒1軒ご挨拶に回りました。
驚くことに、ご近所の皆さんが異口同音に「お父さんはいつも見かけると、元気に挨拶してくれてね。あんなに元気だったのに・・・」「施設にも預けず、お母さんの介護をお父さんが懸命にやっていて、尊敬していたのよ」と、おっしゃっていました。
離れて暮らしていた私だけでなく、ご近所の方々も、誰も父の容態の急変を察知できなかったのです。それだけ、父は誰かに迷惑を掛けたくない、と気丈に振る舞っていたのでしょう。私がたまに実家に戻ると、「毎日腕立て伏せとスクワットで筋トレしているんだ」と自慢していた父。家でも外でも、病気を隠していた父は、心の中で独り、何を感じていたのだろうか、と思いを巡らせてしまいました。

午後には、もともと予定していた、実家の網戸の張り替え作業を、私一人で始めました。
建てて20年超の鉄筋コンクリート造りの実家。外見はしっかりしていますが、網戸などはメンテナンスできておらず、20枚ほどの網戸を張り替えなければなりません。本当はもっと早く、父の生前に張り替えてあげようと思っていたのに実行できず。張り替え用の用具一式を通販でオーダーし、実家に届いたその日に、父は他界しました。
たかが網戸の張り替えなのに、感傷的になってしまいそう。何とか気を紛らわそうとして、お気に入りのPodcastをラジオBGM代わりにして、張り替え作業を始めました。普段外では、iPhoneにイヤホンをつけて、Podcastを聴いているのですが、今日はイヤホンなし。ご近所迷惑かな、と心配しつつも、イヤホンを付けてしまうと、なんだか外界から遮断されて心細くなってしまって、ムリでした。
網戸の張り替えは初めての不慣れな作業なので、3時間かけて、出来上がったのはたったの3枚。しかも、ローラーを誤って滑らせてしまい、左手の親指から、軽く血が滴ってしまう始末。鮮血をタオルで押さえながら、自分の体に血が通っていること、生きていることを実感しました。
たった3枚なのに、何かを成し遂げた気がして、少しだけ前を向こうという意欲が出てきました。

日が暮れてからは、夕飯を調理しながら、TVを付けてみました。NHKで大相撲初場所の初日対戦が放送されています。父が大相撲好きで、私もその影響を幼少のころから受けて、20代前半まではよく大相撲をチェックしていました。
父が入院し、ICUから個室病棟に移ったのが11月最終日。その頃には大相撲が終わってしまっていました。人工呼吸器を付け、普段は鎮静剤で寝たきりになり、目も開けることがなかった父。それでも耳は聴こえるらしく、私が話しかけると、たまに涙を流していました。
2か月(奇数月)に1回、第二日曜日~第四日曜日に大相撲は開催されます。残念ながら、初場所が始まる2日前に、父は亡くなってしまいました。あぁ、大相撲のラジオでも掛けに病室にお見舞いに行ってあげたかったな、と少し心残り。幼い頃、父と一緒に応援した力士たちを思い出します。一人、実家で見る大好きな大相撲。寂しいものです。
今場所は、初日から逆転勝利や物言い(勝敗がきわどく、審査員が協議すること)の対戦が多く、波乱万丈でした。いろんな意味で大相撲に翻弄され、料理に集中しきれず、刻んだセロリが不格好になってしまい、我ながら苦笑。でもまぁ、美味しくできたからヨシとしよう。

おそらくこれからも、事あるごとに父を思い出し、涙を流し、それを吹っ切ろうともがく繰り返しが続くでしょう。それでも、父に貰った私の命を、私の人生を、無駄にせず毎日大切にしようと心に誓う日々です。涙の数だけ、強くなれるはずだから。



コメント

  1. | |

    承認待ちコメント

    このコメントは管理者の承認待ちです

  2. | |

    管理人のみ閲覧できます

    このコメントは管理人のみ閲覧できます

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://kicosj.blog118.fc2.com/tb.php/238-205df70f
この記事へのトラックバック



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。